「人はなぜ学ぶのか」という問いの重要性

人はなぜ学ぶのだろうか。この問いが提出されることは少ない。「学ばせるにはどうすれば良いか」や「なぜ学ばなくてはならないのか」といった問いはよくある。そこでは学びとは、強制しなければしようとしない辛いもの、面倒なものという価値観が支配的である。このことは学びが教育と結びついており、強制的な学習が主要な学習形態と見なされることが背景としてある。しかし学びについての動機付けは、なにも学校教育に限定した議論ではない。社会人の生涯学習においても動機付けは重要なトピックである。むしろ、長期的な動機を持つことについてはこちらのほうが難しい。そして、学びたいという心理は、教え手がなにを考えていようと本来はそこから自由であるはずだ。意欲は教え手の意思に左右されない。であるから、学習意欲に関する議論は、どのような状況下であれ必ずいる、主体的な学習者を観察し、「人はなぜ学ぶのか」という問いに答えるようなものであることが建設的であろう。学習を学習者の視点から考えることのほうが、より汎用的な学習支援を考えることができる。