2015-11-01から1ヶ月間の記事一覧

浅はかなPDCA

anond.hatelabo.jp 「頑張る」をベースにしたPDCAは最悪である、何度やっても「頑張る」以外のアクションが出ず、具体的に何が良くて何が悪かったのかを把握しないままになってしまうから、という話を聞いた。確かにそうだと思う。これ以外にも、浅はかなPDC…

物語はなぜ作られ続けるのだろうか

書店の扉を開けて、新刊の小説コーナーを眺めるたびにいつも思う。世界には既に一生かかっても読み切れないぐらい沢山の物語が既に出版されているのに、どうして未だに本が出版され続けられているのか、ということだ。 実用書や学問的な著作であれば、それが…

意味を与えたい

時々虚しくなる。なぜ自分はそう感じるのだろうか?それは私が何かを確実に生み出したという実感が無いからだ。作るということが、私にとっての生きる原動力になっていた。しかし今振り返ってみて、作るという行為から、何かが生み出されたという感覚がない…

ただ、思考だけが在る場所へ

自己否定については最近緩和されてきて、わりと積極的に他人と関われるようにもなってきた。ただ、そうなったからといって自分の根っこにあるどろどろしたもの、苛烈なものを出せるかどうかというのは別問題で。でもそれこそが自分のような気もしていて。 そ…

自分は本当に考えているのか?

時々、自分は本当に考えるということができているのだろうか、と不安に駆られることがある。私が何かを考えるときに、必ずどこかで読んだ本の知識や文章が頭に浮かび、流れ込んでくる。考えることに集中すればするほど、流れてくる本の知識の量は増大し、や…

『ハーモニー』の世界はなぜ息苦しいのか

映画『ハーモニー』を観た。もう言い尽くされていることだし、作品を読むなり観るなりすればすぐ分かることだが、ハーモニーの世界の息苦しさの理由について改めて整理してみようと思う。 『ハーモニー』の世界をトァンはなぜ「息苦しい」と感じたのか。その…

「人はなぜ学ぶのか」という問いの重要性

人はなぜ学ぶのだろうか。この問いが提出されることは少ない。「学ばせるにはどうすれば良いか」や「なぜ学ばなくてはならないのか」といった問いはよくある。そこでは学びとは、強制しなければしようとしない辛いもの、面倒なものという価値観が支配的であ…

学習に「能力」という言葉はいらない

学習に「能力」という概念は果たして必要なのだろうか。ぼんやりとそんなことを考えている。 一般的な意味での学習とは、何かができるようになる状態のことを指すことが多い。英語が話せるようになる。数式が解けるようになる。Rubyでソフトウェアを開発でき…