相違点

■ - shigusa_t’s diary

最終的な理想が実現された社会において、同性カップルが子供を持つことについては賛成できる。また、現状でも何か子供を幸せにしうる十分な目算があるなら問題ないと思う。 しかし、今無策に同性カップルが子供を持つことは、親を選ぶことのできない子供に対して、親が抱えたカルマを押し付けることに等しい。

■ - shigusa_t’s diary

先日の記事について、id:shigusa-t さんが言及してくださっている。

先日の記事については、急いで書いたこともあり言い過ぎているところがあッたかと思う。その点についてはお詫びしたい。

正確に言えば、 id:shigusa-t さんがおっしゃるとおり、基本的な思想については衝突が無いが、実際に今どう判断するかという点においては意見の相違があるということを言いたかった。

id:shigusa-t さんは、基本的には同性カップルが子供を持つことについて賛成するとしつつも、現在は「理想が実現された社会」ではないので現在は推奨できないという立場をとられている。この「推奨できない」という表現が具体的な行動として何を指すのかは、私には正確に把握できていない。ただ、他者の選択を直接的であれ間接的であれ制限するということを意味していると思う。

私はこれに対して、いまこの社会において、同性カップルが子供を持つことを制限できないと考えている。それが id:shigusa-t さんとの相違である。その理由は、他者の選択に介入する権利についてである。私は原則として、個人が他者の選択を制限すべきではないと考えている。制限が許されるのは、その選択自体に倫理的な問題がある場合のみである。同性カップルが子供を持つという選択をすることそれ自体に倫理的な問題はないとすれば、そこに私が他者の選択を制限する余地は無い。

おそらく id:shigusa-t さんが最も心配されているところの、子どもの幸せの問題については、難しいところである。ただ思うのは、たとえ異性カップルの間に生まれた子であっても、「子どもは自分の親を選べない」という点においては変わりがないということである。子どもの幸せを他者が奪うときの理由付けはいくらでも考えられ得る。私にできる適切なことは、誰かの子供であることの是非を判断することよりも、誰の子どもであったとしてもその生を積極的に肯定し、幸せになる手助けをすることだと思う。