浅はかなPDCA

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「頑張る」をベースにしたPDCAは最悪である、何度やっても「頑張る」以外のアクションが出ず、具体的に何が良くて何が悪かったのかを把握しないままになってしまうから、という話を聞いた。確かにそうだと思う。これ以外にも、浅はかなPDCAもまた悪い展開を導くことがある。

私は昔から対人能力が低かった。だから私は早期からPDCAを心がけた。まず、必ず挨拶することを覚えた。笑顔を忘れないことを覚えた。雑談のトピックとして、天気の話を用意していくことを覚えた。話し手ではなく、聞き手でいることを心がけた。相手の価値観や主張をすぐには否定せず、受け取る姿勢を覚えた。私は過去のコミュニケーション経験から何が悪かったのかを考え、自分にかけている行動を身につけるようにした。その結果として、初対面の人に普通の社会人であると思われる程度には対人能力が向上したと思う。

しかし、これはすべて小手先の改善でしか無い。対人能力で重要なのは、人と会うのが好きになること、人の感情に共感すること。行動ではなく認知にウェイトを占める能力だ。私は表面的な改善を行うことはできたが、これらの根本的な認知についてのPDCAを怠った。

その結果、わたしは社会人としての振る舞いをすることができるが、その最中の私は好きになることや共感することもなく、自分の無感動と矛盾する振る舞いに苦しむはめにおちいった。自分の悩みを開示することは、表面的には失敗のもとになるので、それもできない。だから、私は人と会う時、笑いながら心のなかでは悲鳴をあげていることがある。表面的な部分を改善し、本質をみないことは、自壊を導くのである。

最近では社交的でありながらも心が悲鳴をあげないような場面のイベントを選び、参加している。しかしながら、これも浅はかなPDCAの結果にしかすぎない。人に対する思いそのものを考えることがなければ、この悪循環は変わらないだろうな、と思う。